フリーマン・ダイソンが「ダイソン球」のアイデアはこの本に由来すると述べていたことから、アマゾンで見つけて購入。送料込みで900いくらか円だったと思うけど、今探すと(邦訳版では)3000円(定価)前後のものしか無い...
SFは子供のころから好きで、惹かれる理由はその「舞台設定」にある。物語の進行にしたがって、その舞台の謎が増えて行ったり明らかになったりするのを楽しんだりする。ものによっては最初から最後まで舞台は変わらなかったりもするが、その「縛り」を楽しんだりもする。
本作では、主人公「わたし」の成長にしたがって、宇宙の様子が見えてくるのだが、「別地球」に始まる多彩な「○○人類」から、惑星と一体になった生物、実は生物である恒星や銀河、最後は我々の宇宙は創造物の一つであるという多元宇宙論的な話まで、現在の「宇宙もの」SFの「舞台設定」のベースが語られつくしている。その「舞台設定」が華々しく登場しては使い捨てられていく感じが時々ついていけないような気にさせる。
「わたし」が宇宙を飛翔する手段はテレパシーで、他の星の住民に対しても干渉しまくったりするのだが、全宇宙の歴史そのものは、光速度より早いものは存在しないという相対性理論に縛られて展開されるところは好感が持てた。
一般相対性理論が1916年に発表され、膨張する宇宙が観測されたのが1920年代。この本は1937年に刊行されていて、現在のSFの基礎が詰まっているという点ではすごいと思う。当時の大ヒット作ではないのだが、世界のSF作家や物理学者に影響を与えたともされている。日本語訳は初めて出されたのが1990年。この本がもっと早くに翻訳されていれば、日本のSFも変わったのかもと思ってみたり、ようやく読んでみようかという土壌ができてきたのがその頃だったのかと思ってみたりもする。
全体的には、非常に読みにくい。映像化されれば是非見てみたいと思うが、途中で寝ちゃう可能性も否定できない(笑)。が、SFを語る上では読んでおきたい一冊。ただし、本作がSFかどうか(SFという一ジャンルに縛られるかどうかも含めて)は諸説ある。
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